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ロッジの差し陽の中で、珈琲の香りを楽しみながら季節の狭間に癒しを感じ、心の動きを綴っています。カテゴリー別に整理をして引き出しに詰めております。少しの間休んでいって下さい。

by mix-mac ミックス・ベジタブル

■細やかな気配りの欠ける公立病院

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■細やかな気配りの欠ける公立病院
 父が町医者に肺癌と診察されて、細検査をする為に近くの公立病院へ連れて行ったのが今年の6月中旬。検査結果は一週間待ちで出て来たが、ステージ4の最悪な結果。 しかも胃と腸の間には、ゴルフ玉程度の血砬があると云う。 家での立ち歩きもトイレに行くのがやっとでしたし、食事の量も大部減っていたので、進行度合いと手当はどうしたらよいものかなどの相談の為、再度公立病院へ訪ねました。
 1時間程の再検査のうえ、父はベッドの上に横にされたままでした。 家族の方・・と声を掛けられ、「担当医の話を聞くようにと・・」父は病棟へ、私が医師から検査結果を聴く事になりました。
 医師の話では、「このまま家に戻っても間もなく歩けなくなります」。・・「どうしますか?」との立て続けの問いに、・・・思わず「食事の量も大部減って立ち上がるのにも辛そうな顔をしているので、入院は出来ませんか?」と言ってしまいました。
 担当医師も・・「そうですね、高齢だし・・治療方法として、手術はもう無理ですし、抗癌剤を使用するのはもう無理でしょう・・体調を維持するという事で手を尽くしてみましょう。」「このままお預かり致しましょう、直ぐ入院させて下さい」・・トントン拍子で話は決まり、取り敢えず苦しむ父を、安心して眠れる病室へ送り込む結果となりました。
 頭の良い父ですが、身の回りの事はあまり上手ではなく、翌日から私の付き添いが毎日4~5時間在りました。 約3ヶ月続き、私も疲れ果てて、3歳上の姉が空いている時間看てくれるという話しでしたが、残りは半々で看て行こうという事に成りました。
 既に食が薄くなった父は病院食にはあまり手を出さず、何が食べ安いのかを知る為に、朝はパン食、昼がお粥、夜は麺類にして貰いました。 1ヶ月程続きましたが・・・段々食べる量が少なくなり、その後はお粥のみ。 その内益々量が減り、お粥に付いて来るおかず類は殆ど食べられなくなり、何とか食べて貰いたくて買い求めた、ふりかけの色んな味セットや海苔の佃煮、なめ茸の瓶詰め・・・それでも2週間もすると出されたものは殆ど食べられなくなり、ヨーグルトやアイスしか食べられなくなってしまいました。それも1日1~2回のみ。 見る見る内に体が急激に痩せてきて、入院してから3ヶ月に成る今では見るも無惨に、骨と皮・・看ていると涙が出て来ます。
 問題はここからです・・公立病院と云えば完全看護。 時々話題にはしていましたし、入院する時にも、当初から「私は身障者1級、何から何までの面倒を看る事が出来ないので・・病院の方で介護全般をお願いしたいのですが・・」と申し出ておりました。
 介護保険をずっと2万円も払い続けていましたので、病院の係には「介護認定を受けて貰い、看護士さんの他に、病院には迷惑の掛からないように、看護士さんを交代で付けたいのですが・・」と申請書を数枚書いて、福祉センターに持ち込みました。 しかし数日後、センターから返事が来て「病院から申請を取り下げられました」と云うのです。
 翌日病院の掛かりに、「どうして取り下げたのかを教えて下さい」と話すと、「病院では・・完全看護で対処してますので、必要がないのです」という回答。
 父の介護保険は、月々決まった金額が引かれているのです。 変な話しですよね・・

 なのですが・・あまり手の掛からない内は、結構優しく声がけをしてくれたし、リハビリも車椅子での送り迎えも気持ち良く遣ってくれていたのですが、父がトイレに行けなくなった時点で、看護士の態度ががらっと変わってしまいました。 「おむつやおしり拭きは、事前に当座必要な分だけ購入してナウスに届けて下さい」と云った風に、如何にも遣って上げているんだからのような口調になり、やがては・・ご家族が付いておられると本人も安心されるのでは?(ずっと付いていて欲しいと云ったようにも聞こえる話しぶりになりました)。
 徐々に体が痛くなり始めた父は、体の向きを変えて下さいという要求を出すようになり、看護士達も常には着いている訳にもいかず、一層家族の方にも付いていて看てて欲しいというのです。 体は細くなったとは言え、確かに父からすればその方が良いという事も了解です。 私も姉も体に無理があるのも周知の上、比較的長い時間付き添いをすることにしました。
 それでもある日、姉との交換で病院へ行って直ぐのこと、父はベッド事空気ボールのバレーボールをするとのことで、息づかいのハアハアしている私に、父のバレーボールの相手をしろというのです。 会場へ行くと車椅子の老人達が、空気ボールを片手で打ち上げるリハビリをし始めました。
 挙げ句の果てに私に父のボールの相手をしろというのです。ベッドを会場まで押させたり引っ張らせたりした上のこと、結構長い距離の移動で、私は其処に座り込んでしまい動けなくなってしまいました。 車椅子の患者は十人程度・・付いて来た看護士は3人。 ボール1個を私に渡し、始めて下さいと云うような顔を為るのです。 「済みませんが・・私体を壊しているので出来ないのですが・・」と言うと担当の看護士は、一瞬むっとした顔をして、「じゃあ座っていて下さい」と言うのです。 暫く横になったままの父にもバレーボールをさせ、20分程で終了しました。 各担当者は、それぞれ順々に車椅子に乗ったまま拡病室に運ばれて行きました。 ベッドのままその場に残された父と私は、待てど暮らせど迎えには来てくれません。 ナース室の方を暫く見ておりましたが、迎えには来てくれそうもありませんでした。
 30分過ぎた頃でしたか・・やっと想い出したのか1人の看護士さんが、慌てた顔をして「遅くなりました~」とベッドを病室に運び始めました。しかしここでも私の力が必要です。 引いたり押したり・・疲れ果てた私に「また来ます」と言って看護士は去って行きました。 姉も同じ事を言われ、帰宅するチャンスを逃してしまい、夜間に家に帰るようになってしまったと苦情を言っておりました。
 食事が出来なくなった父に、点滴を打つようになり・・・
取り敢えず父の要求にいくらかでも応えるようにと、1日6時間交替で私と姉で付き添いを続けました。 父は重症化し、体が彼方此方痛いのか、向きを変えてくれと云う要求が極端に増えました。
 病院では、夜間に頻繁にナウスコールが押されるので、困り果てておりました。 日中は私か姉がいるので然程手を掛けることは無いのですが、夜間に眠れず要求を出す父に、看護士達も、父が夜眠れないようで・・「何度も呼ばれて昨夜も大変だったんですよ」・・・と言われても完全看護のである筈の公立病院で、そんなぼやきを患者の身内に話しても良いものなのか。
 日中は点滴の交換も此方から呼ばないと来てくれなくなり、更に父が眠っている最中に、「終末期は彼方此方が痛くてやむを得ないことなんですがね・・」と大きな声で話し出す始末。
 
 あまりにも患者や家族に無神経過ぎると、姉から内に電話があり、「今日病院へ行ったら婦長を呼んで総て話すから、そのつもりでいてね・・明日は貴方が行く日だから、感じたことは総て話しなさい」と言って電話を切りました。

 すると翌日早めに病院へ向かうと、病棟の責任者が「昨日は部下が心事ない行動を取りまして、申し訳御座いませんでした」。と深々と謝り、昨夜から本人があまり苦しまないように、痛む止め(モルヒネだと思う:私感)の点滴をひとつ増やしましたから、問題は起きないと思います。 点滴の装置も総て3本とも自動装置に変えており、「そういう問題かよ」とも思ったけれど、既に父は話し掛けても、目を見開いて応答することもなく、夢でも見ているのか・・時折うめき声を発し、少し手を動かして何かを訴えるような仕草をするようにだけに成ってしまいました。

 今日は台風で外は大荒れ、病院へ電話を掛け「宜しくお願い致します」とナウスには話しました。 恐らく私が来ていないと朦朧としている父でも知れば・・悲しみます。
 今は、父の側にいて話し掛けても、聞こえているかどうかは判りませんが、父の好きな音楽の話し・・教師だった若い頃の話しをしてあげたいと思います。 話すと父が喜んで聞いているような表情をするんです。

。。最近は医師や看護師の過剰労働が問題になっているので、あまり責めることも出来ないのですが・・・土日祭日には、看護士は3人だけ、医師は当番医だけで処方を変えるにも、担当医に連絡をして回答待ち・・何が悪いのかというと病院を打算的に考えている、総務課・事務長、強いては市長の実力不足としか言えない。


by mix-mac | 2017-09-18 17:24 | ★ひとりごと